夢……夢を見ている……。
地上から遥か離れた宇宙と大地の狭間に位置する大気の中に自分の姿があった。
目の前には背中に羽の生えた少女がいた。
その少女は泣いていた。泣いている理由は分からない。ただ、その泣き声を聞いていると自分の胸が酷く締め付けられた。
そしてその少女に、母親の様に寄り添っている女性がいた。地上に絶え間なく流れ落ちる滝の様に涙を流し続ける少女の頭を優しく撫で上げていた。泣きじゃくる子供をあやす様に……。
「……!」
女性は私に気付いたのか、私の方に顔を向けて来た。その顔はまるで、何年も待ち続けた人とようやく邂逅し得たかの様な、優しく郷愁感に包まれた笑顔だった……。
「……」
その瞬間私は目覚めた。夢の内容は漠然としか覚えていない。ただ、夢を見た自分は泣いていた。
何故涙を流しているのかは分からない。一つだけ言えることは、夢の中の女性に、今は亡き母の面影を感じたことであった……。 |
第拾六話「夏影」
「おはようございます、往人さん。昨晩はよく眠られましたか」
「ああ、何とかな」
起きたばかりの私に挨拶をして来る祐一に、私は軽く返事をした。
種山高原での一件の後、私は祐一に同行した。何でも会わせたい人がいるとのことで、別段誘いを断る理由もなく、私は言われるがままに祐一に同行した。
昨晩から今朝に至るまでは祐一の帰省先に世話になっていた。今私がいる家は祐一の親戚にあたる家で、祐一がこの街に越して来てからずっと世話になり続けている家という話だ。
「おはようございます、祐一さん、それに往人さん」
祐一と共にその家の台所に向かうと、祐一の叔母にあたる女性が私達に挨拶して来た。叔母は名を水瀬秋子といい、この家の家事全般を担っているそうだ。
台所には既に朝食が並べられており、風格のある中年男性が朝食を取っている最中だった。
その男性は名を水瀬春菊といい、秋子夫人の夫にあたり、この家の当主だそうだ。職業は高校教諭で、なかなかの名教師らしい。
「おはようございます、秋子さん」
私が台所の椅子に座った直後、あゆ嬢と真琴嬢が姿を現わした。あゆ嬢は一年半程前から水瀬家の居候になっているらしく、真琴嬢は昨日私と共にこの家に帰って来、昨日はあゆ嬢の部屋で共に寝たらしい。
「ふああ〜おはようございまふ……」
そして大分経ってから水瀬家の一人娘である水瀬名雪が、重い眼を擦りながら台所に姿を現わした。祐一の話によると、私が祐一と初めて出会った車中で祐一に寄り添う様に眠っていた女性が、この名雪嬢であったとの話だ。
今家にいるメンバーが全て揃い、総勢7人の朝食会が始まった。秋子夫人の作った手料理は女史の手料理などに比べ年季の入ったもので、今までに体験したことのない程の家庭的な手料理だった。
しかしこの賑やかな水瀬家の食卓、祐一がこの家に世話になるようになるまでは、秋子夫人と名雪嬢の2人だけしかいなかったという。その後相沢家の養子となり祐一と共にこの家の世話を受ける身となった真琴嬢が加わり、行方不明であった春菊氏が戻って来、そして7年間の眠りから目覚め、行宛のなかったあゆ嬢を引き取り、現在の構成になったという話だった。
嘗ての水瀬家や霧島家の様に、世の中には核家族の形態さえまともに形成していない家族が存在するのだ。私は一人身で孤独な存在だ、他人とは違う存在だと思っていたが、何のことはない、私のような人間は別段珍しくないのだ。
この地に来てからの多くの人々との関わりの中でそれに気付き、そして家族というものの有難味、大切さを改めて実感した。やはり家族というのはいいものだ。
「ごちそうさまでした。そろそろ行きましょうか?」
「うむ」
祐一達が朝食を取り終えたのを確認し、私は祐一達と共に水瀬家を後にした。
「あら? あなたは行かなくてよろしいのかしら?」
「いや、もう私の役目は終わった。これからは祐一や、あの鬼柳君達の時代だ……。頼んだぞ、神奈様のことを……」
|
「この先に本当に人がいるのか?」
朝食後、私は祐一達に案内され、ある山を訪れた。登山口には鳥居が建っており、この先に神社があるのが分かる。しかし、どう見ても人が住んでいるような山には見えない。祐一達が私に会わせたい人というのは、神社の神主か誰かなのだろうか?
「ええ。山頂の神社で往人さんのことをお待ちしております」
「山頂、ということはこの山を登るのだな」
予想はしていたが、どうやらこの山の山頂に神社があるようだ。
祐一達に先導され、私は山の頂上を目指した。山道は多少急な坂であったがアスファルトで舗装されており、歩くのに苦は感じなかった。山頂までの道程、民家が一軒あり、山道に並ぶ様に電信柱が列を為していたが、後は木々に囲まれた景色が続いた。
舗装された道や電信柱に現代的なものを感じるものの、その他の情景は、まるで何百年も変わらぬ森の情景を思い起こさせた。
山頂を歩き続けると、左手側に階段が見えて来た。祐一の話によると、私に会わせたい人はこの階段の先にいるらしい。
トクン……トクン……
階段を一歩一歩踏み込む度に、胸の高揚感が高まって来た。坂を登り続けて身体が疲労を訴えているのか?
いや、違う……。この山は初めて訪れた筈なのに、不思議に昔訪れたことがあるような感覚に襲われる。
(この感じは――!?)
階段を登り切った後、不思議な違和感を抱いた。この場所は以前訪れたことがあるようなのに、何かが違う。一度も訪れたことがないのに、何かが違うと感じてしまう……。
「ん? これは……」
辺りを見渡すと、視線に大きな切り株が映った。感覚的ではあるが、違和感の正体はこの切り株な気がする。
「この切り株は一体?」
「ここにはね、8年半前まで大きな木が生えてたんだよ……」
私の質問にあゆ嬢が答えてくれた。何でもここに8年半前まで生えていた木は、樹齢千年にも値する大木で、この山頂の神社の神木とされていたという話だ。
「神木か。しかしそのような木を切るとは、寿命で伐採せねばならなかったのか?」
神木と言われる位なのだから、それなりの信仰があった木だったのだろう。そんな神木を滅多なことでは伐採しないだろう。そう思い、私は疑問を投げ掛けた。
「それはね……。8年半前、ここに生えていた木から一人の女の子が落ちたんだよ……」
あゆ嬢の口から語られる話、それは温かく、そして哀しみに包まれた物語だった。
8年半前、この街に母親を亡くした少女がいた。その少女は母親を亡くした哀しみで、泣きながら街を彷徨っていた。そんな時、少女の前に一人の少年が現れた。その少年は哀しみに打ちひしがれていた少女の心を癒し、次第に少年と少女は手を取り合う仲になっていった。
そんなある時、少女は少年を自分のお気に入りの場所である、この神木の前に案内した。少女は嘗てこの地に生えていた木から眺める街の情景が好きだったという。その景色を心を癒してくれた少年にお礼として見せたくて、この地に案内した。もっとも、少年は高所恐怖症で木には登れなかったという話だが。
それからというもの、少年と少女は毎日の様にこの地で遊んだ。そして少年がこの街から自分が住んでいる街に戻らなければならなくなった日、その悲劇は起きた……。
「そして、そんな事故が二度と起きないようにって、ここに生えていた木を切ったんだよ……」
「そんなことがあったのか……。そしてその少女があゆ嬢、少年が祐一なのだな」
あゆ嬢の語った話、それは以前祐一の口から語られた話と共通するものだった。つまり、この地は二人にとって大切な思い出の場所なのだろう。
「思い出の場所!? そうか、ここが……」
大切な思い出の場所。その言葉がこの地に来てからずっと私を悩ませていた感覚の答えを導いてくれた。
そう――この地は私が幼き時母から聞かされた、二人の男女が約束を交わした場所……。
『その通りだ。待っておったぞ、我が子孫よ――』
「!?」
突如頭の中に響いて来る声。太くて威厳に満ち溢れた声。この声の正体は一体……?
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トクン、トクン……
胸の高まりが納まらない。幼き時幾度となく聞かされた遠い遠い日の約束の物語。ここはその約束が交わされた場所、そして私に声を掛けているのは物語に語られている男性に間違いない。
『我が名は柳也。故あってこの地に眠りし者……。お主の名は既に祐一等から聞いておる……』
「柳也……。時に我が先祖よ、一つ訊ねたい事がある。『いつかこの力が、我の存在すらも忘れ去られるその日まで』。貴方が子孫に残せしこの言葉は何を意味しているのだ?」
開口一番私はそう訊ねた。私はこの地に来るまで多くの力を見た。それらの力が忘れさられる様になるという意味を指しているのか。ともかくその意味を知るべく私は訊ねた。
『それを語る前に、まずはお主の伝えられし「法術」。その名が偽りの名であることを語らねばならんな』
「法術が偽りの名!? では本当の名は?」
『天皇力。それが法術と伝えられし力の真の名よ』
真の名、それは天皇力。つまり天皇が持ちし力ということか。しかしならば…
「つまりは私は天皇の血を引きし者……そういうことになるのか!?」
『然り。我もお主も皇族の血を引きし者よ』
「ならば私の先祖である貴方も皇族の血を引いていることになる。そのような貴方が何故このような地に眠っているのだ?」
皇族の血を引いているということは、この日本では最上位に値する者である筈だ。そんな人間がこのような地で眠りに就いているとは、余程深い意義があるに違いない。
『それはこの大気にその身を縛られし羽を持ちし我が君の救済の為……』
「羽を持ちし者の救済。もしやその者が私が伝えられて来た羽を持ちし者なのか?」
『然り』
「では我が先祖よ。その羽を持ちし者とは何者なんだ? 人を超越せし、神と呼ばれる者なのか?」
羽を持ちし者、そのような者が仮に存在するならば、それは神と呼ばれる存在なのではないかと私は思っていた。羽を持ちし者が実在するならば、その者は大気に身をおく神なのか?
『否。羽を持ちし者は人よ。哀しき定めを負いし人よ……』
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「人……羽を持ちし者が人……。しかし今の我々は羽を持たん。ならばその者は人ではないのではないか?」
「持っていたのよ。翼人と呼ばれた嘗てこのみちのくに住んでいた人達は」
私が疑問を呈した所、真琴嬢がそう呟いた。そう言えば以前真琴嬢が、DNAの配列を書き換える行為は今の人間には到底発想し得ない技術だと言っていた。恐らく翼人とは、その行為が可能だった嘗ての人類を指しているのだろう。ということは……。
「つまり……羽を持ちし者とは私や真琴嬢、そしてあゆ嬢の力を生み出した者ということか……」
「ええ」
「そしてその者とは人の知恵を人間そのものの進歩に費やした者なのだろう?」
私や真琴嬢、あゆ嬢の力は性質の違いこそあれ、すべて何かしら原子や人間の身体を司る力。ならばそれらの力とは、人間そのものを進歩させる過程で生み出されたものと理解出来るのではないか?
「その通りよ。例えば今の人間なら早く移動しようと思えば乗り物を造るわね。けど翼人を含めた嘗ての人類はそうせずに、早く移動しようと思って自分の身体の遺伝子を操作して早く走られるようにしたのよ」
それは以前真琴嬢が見せた岩を砕く力と同じ原理なのだろう。また、同じように通信技術の発達を電話などの機器に求めずに、所謂テレパシー能力の向上に努めたのだろう。
「そして持てる知恵のすべてを人間そのものの進歩に費やした嘗ての人類は、ある時、空を飛びたいと思ったのよ。地上では知り切れない大気の先にある世界を求めて。
けど、人は翼を持たない。ならば遺伝子を操作しようと思ったけど、人と鳥は違う進化を辿ったもの、人の遺伝子には鳥の遺伝子は含まれていない……。
そこで翼人と呼ばれるようになった人は考えたのよ。含まれていないのなら移植すればいいと。無論遺伝子の異なるものを移植するのだから、当然拒絶反応を起こすわ。なら拒絶反応を起こさないようにするにはどうすればいいか?
その時考え出されたのが、移植する鳥と移植される人間との接合部分の細胞を一度死なせ、拒絶反応の起こさない細胞に再生させればいいと……」
「死と再生……もしや……」
死と再生という言葉に反応し、私はあゆ嬢の方を向いた。あゆ嬢は言った、私の力は死と再生を司る力だと。
「そうだよ。その方法を思い付いた人が月讀と呼ばれる人。そして私の力は月讀が編み出した力なんだよ」
「しかし、それではあゆ嬢の魂を己の身体や想いの込められたものに移し変える力の説明が付かん」
「うん……。それを今から私が説明するよ」
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あゆ嬢の口から語られる話。それは嘗ての人類、日本神話でいう神代に生きた神代人の忘れ去られた物語であるという。
「昔々、このやまとの地には持ちし知恵のすべてを人の進歩に費やした人々がいました。その人々が最も望んだこと、それは遥かな未来まで知り得る為に永遠を生きることでした。
また、月讀には他に二人の姉弟がいました。双子の姉の天照と弟の須佐之男。
この永遠を生きるという命題に対し、姉の天照は出来るだけ長く生きることこそ永遠への道筋だと唱え、限りない長寿に努めました。その過程に生み出された力が、原子の衝動を持たぬものにまで生の衝動を与えられる生命力に満ち溢れた力、天照力と呼ばれるようになりました……」
つまりは私が法術と教え伝えられていた力なのだろう。思えばみちるの魂を貝殻に込める時、祐一が私に語るように言った祝詞の中には、天照力という言葉があった。
「しかし私の力の名は『天皇力』と呼ぶのであろう? 天照力とはそれの別名か何かなのか」
「違うわよ。天照力は天皇力の大本を為す力、けどそれがすべてじゃないの。もう一つの力が加わって天皇力となったのよ」
「ほう、ならばそのもう一つの力とは」
真琴嬢が言うには、天皇力は天照力ともう一つの力が組み合わさったものらしい。ならばそのもう一つの力とは何なのかと訊き返した。
「それは私が続けて話すよ。また、姉の天照に対し、弟の須佐之男は、永遠を生きることなど不可能だ、永遠を生きるくらいなら限りある生涯を力強く生きるようにすべきだと唱え、肉体を極限まで高めるよう努めました。
その過程で生み出された力が、嵐のように力強く生きる力、須佐之男力と呼ばれるようになりました……」
「それがもう一つの力の名か」
「ええそうよ。そして私が持っている力がこの須佐之男力よ」
肉体を極限まで高める力。成程、確かに今まで見た真琴嬢の力はそれに値する。
「ですが、永遠に生きようと努めた天照は、結局永遠を生きることは叶わなかったのです。
その後天照の子孫はその力を継承し、天照の意思を継ぎ、永遠を生きられるように努めました。だけど誰も永遠を生きることが叶わず、ある天照の子孫は永遠を生きることを断念し、須佐之男の子孫に話を持ち掛けました。天照力と須佐之男力を合わせればより力強く生きられると。
須佐之男の子孫はその話に賛同し、異性同士であった天照と須佐之男の子孫は力を合わせるべく結婚し、子供を産みました。その子供は二つの力を持つことにより人間の頂点と言っても過言ではない存在になりました。
そして人々はその力を敬い、その子供は人々の指導者に奉られるようになりました。そうしてこの子供は、後に神武と呼ばれる初代の天皇となられました。それ以後、二つの力が合わさった力を『天皇力』と呼ぶようになりました……」
「それと、二つの力が交わった後、源氏の血を引きし者が天皇力を長寿ではなく戦闘的行為のみに使用するようになって、源氏力と呼ばれるようになったわ」
あゆ嬢に続けて真琴嬢が補足説明した。真琴嬢の話によると、融合する前の八雲と対峙した義家や義経がこの源氏力が使いこなせたらしく、そして後々に天皇力を受け継いだ祐一も、当初はこの源氏力しか使えなかったという。
「そしてこの永遠を生きるという命題に対し月讀は、人の身は無常なれどその想いの連鎖は永久に続くものなり、記憶を人から人へと橋渡しすることこそ永遠だと唱えました。
その過程で生み出された力が、死と再生を繰り返すことにより永遠を紡ぎ出す力、月讀力と呼ばれるようになりました……」
「つまり、月讀は昨晩あゆ嬢が言ったように人々の想いの中で生きることこそ永遠と説いたのか?」
「ううん、違うよ。確かに人々の想いの中では永遠に生きることは出来るけど、それは抽象的な概念でしかない。実際は人々の想いの連鎖は何処かで切れてしまうんだよ」
「何処かで切れる。確かにそうかもしれんな……」
私は先祖代々語り継がれて来た伝承を母から受け継いだ。しかし、その伝承に生きた先祖達の詳細な生きた証までは語り継いでいない。
結局、歴史に名を残す偉業でも為さない限り、完全な形で人々の想いの中で生きることは叶わないのだろう。
「それは月讀も理解していました。そこで月讀は考えたのです……。記憶を失わないようにするには脳の記憶力を最大限に強化すればいい、そして肉体に限界が来れば新しい肉体に記憶をそのまま移し替えればいい。その行為を繰り返す事こそ永遠の答えだと……」
「それはどういうことなのだ……」
月讀の出した永遠の答え、それは私には非生物的で非人間的な、人というのを機械としか認識しない、決して溶けることのない永久凍土の様な冷たさを感じた。
「フロッピーディスクに記憶された情報を決して掻き消されないかの様に、一度覚えたことを決して忘れない様に人間の脳を強化したんだよ……。そして月讀は自分の子供に自分の記憶をそっくりそのまま移し替えた。そしてその子供は月讀の記憶を受け継ぎつつ、自ら築き上げた記憶をその孫に移し替えた……。
この子孫に対する積み重なっていく記憶の継承……。これこそが月讀力の本質であり、月讀の導き出した永遠の答えなんだよ……」
「何ということだ……。それでは月讀の子孫は記憶媒体装置でしかないのではないかっ!?」
「うん……。そして記憶を継承し続けるには、物事に対し感傷的になるのは好ましくないと判断するに至った。その結果月讀の子孫は永遠を生きる代償として主観を失い、客観しか持たなくなったんだよ……」
「人の心というのは時に記憶を忘れる、丁度8年半前の私がそんな感じだったな……。傷付いたあゆを死んだと思い込み、そしてその重さに堪えられなくてあゆの存在をずっと忘れていた……。
それは自分の心が為したもの、私に死の重さに堪え切れない弱い主観、自分というものがあったから……。
それを考えれば主観は要らないっていうのも分かる気がするな。単純に記憶を受け継ぐということを主体とするなら……。
けど、そういう主観、自分っていうものがあるからこそ、それが人間だと私は思うな」
祐一の言う通りだと私は思った。
例えば、よく物事は客観的に捉えるのが良いと言われる。それは主観というのが入ると、物事を正しく捉えられない場合が多いからだ。物事を正しく記憶するという観点から言えば、確かに客観的に記憶するのが良いかもしれない。
しかし、だからといって人間が主観というのを無くせば、その人間はそれこそ非生物的な、心を持たない無味乾燥な機械生命体でしかないのではないか?
永遠を生きる為に主観というのを無くした者、それは最早人とは呼べない。もしこの世に西欧的な神である絶対神がいるとすれば、それは客観しか持たない存在だろう。
月讀の子孫は、西欧的な神の概念でいうならば、正に神に値する者か。
永遠を生きることの代償、それは余りに大きい代償としか言いようがない……。
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『……。されど大気に身体を縛られし我が想い人、神奈は心持ちし翼人であった……』
暫く沈黙を保っていた柳也殿は語った。神奈という名の月讀の子孫、その少女との出逢い、そして別れを……。
『……そして神奈は我を守らんが為、怨霊を自らの身体に抱え込み大気へと旅立ってしまった……」
「何と……。しかし、そのようなもの、月讀力持ちし者なら取り払えるのではないか? あゆ嬢の様に魂を操れば、払い除ける程度造作もないことに思えるのだが?」
「往人さん、人の執念というのを甘く見てはいけないわ。
よく呪ってあるでしょ? あれは人の強烈な負の想い、負の執念が対象となる人にまで影響を与えているものなの。人の負の執念というのは、あらゆる力にも匹敵するものなのよ」
呪いというのもまた人の力と仮定するなら、真琴嬢の論も理解出来なくはない。古来より呪いの逸話は尽きぬが、それは真琴嬢の言うように、負の想いが力となったものかもしれない。
『かの者の怨念は余りに強力で、神奈から離れようとせず、更に多くの負の念を呼び寄せた。
神奈が他の翼人の様に心持たぬ者であれば払い除けられなくとも、その重みに堪え切れたであろう。然るに、心を持ちし神奈には負の念の重みに堪え切れず、哀の涙を流すしか術がなかった……』
客観しか持たねば負の執念にも堪えられた。しかし主観、心というのがあったから堪え切る事が出来なかった。人の心を持っていた事が反って災いになるとは、何と不幸なことか……。
『そして神奈はその重みから逃るるべく、己の写し身をこの地上へと降ろした……』
「地上へ降ろした?」
「魂を分化させたってことだよ。二つの魂を同化させる方法と対照的に、一つの魂を二つに分化させる方法……。
お母さんを失った私にとって祐一君が唯一の希望であった様に、神奈様にとって地上に御身をお残しになられていた柳也さんは、唯一の希望、お心の支えだったんだよ……」
あゆ嬢の発言に対し、柳也殿は何も答えなかった。つまり、神奈の魂は今地上に降り立ち柳也殿を求めているということか。
「しかし、魂が地上で自由に活動するには肉体が必要なのではないか?」
「うん。だから神奈様はご自分の分化為さった御霊を、地上に生まれし新たな生命をもらい受けし人に同化させてるんだよ。
けど、負の執念に縛られている状態だと、魂を分化させるのでさせ困難な行為なんだ。だから神奈様はやっとのお思いで分化為さった御霊を地上に御降臨為さっているんだよ……」
『即ち、神奈は地上に降りてはいるものの、何処に降り立っているのかまでは分からぬ……。故に地上に降り立った神奈を見付けるべく、そして神奈を救済すべく、我は子孫を残したのだ……』
私が母から伝え聞いた羽を持ちし者を探すという旅の目的、それは地上に分化した魂を乗り移させた人間を探すことだったのだ。
恐らく柳也殿から数代はその目的を忠実に受け継いでいたのだろう。だが、人の想いの伝承というのは不確実なもの。時が数百年と経つに連れ、神奈という名が忘れ去られ、魂を分化させた人間を探すという目的が、その魂を分化させた羽を持ちし者その者を探す目的へと変わっていったのだろう。
「しかしそれならば柳也殿自ら探すことも可能であったろうに。何故に私に続く子孫を残したのだ?」
例え何処へいるか分からなくとも、子孫を残さずとも自らの足で探すことが出来た筈だ。そう疑問を感じ、私は訊ねた。
『我は神奈と約束したのだ。この地で神奈を待ち続けると。それに、我は天皇力持ちし者なれど永久には生きられず。我の命ある内に見付けられるとは限らぬ。故に我は子孫を残したのだ』
そうだ。力を創造した天照でさえ、永久に生きられなかったのだ。天照力を持ちし者が最大で何年生きられるのかは分からないが、それでも永遠を生きるのは不可能だ。
自らが捜すのではなく、子孫に願いを託す。その方が確実といえば確実であろう。
「しかし、捜し出すならば、何故忘れ去られる必要があったんだ? 多くの人に神奈様の存在を知ってもらう方が効率も良いだろうに」
私は肝心なことを改めて訊ねた。法術と名を変えた力、そして柳也殿の存在。それらが全て忘れ去られる必要があったのは何故か訊ねてみた。
「……。嘗てこの地を奥州藤原氏が統治していたのは知っておるな?」
「無論、知っている」
『嘗て我は奥州藤原氏に協力を呼びかけたことがあった。されどそのことがこの地に新たな悲劇をもたらす遠因となったのだ……』
柳也殿はこの地を訪れた時、当時この地を統治していた安倍氏の世話になったという話だ。その安倍氏も藤原氏も柳也殿や神奈様を象徴として崇めていたという。そういった経緯から、いつしか柳也殿は”みちのくの帝”と呼ばれるようになったという。
『我も皇族の身、嘗て帝になりたいと思っていた時期があった。故に帝と称されるのは気分の良いものであった。
されど、そのことがみちのくを朝廷の支配下から解放するという独立心を促し、結果的にこの地に戦を呼び寄せてしまった』
奥州側は奥州側で柳也殿を帝として奉り、確固たる地位を築こうと思う。対する朝廷側は朝廷側で、他の帝など認める訳もなく、柳也帝を廃しようとするだろう。そうやって互いに合い入れぬ拮抗状態となり、最終的に戦に発展したということなのだろう。
強大な力いうのは、人々を誘惑して止まないものだろう。だからこそ、力や力を使う者の存在が忘れ去られる必要があったのだろう。
この天照力が法術という名で伝えられたのも、そういった経緯からなのだろう。そして、人形劇にその力を使うのは人々に感心や興味を与える程度であるが、怪我や病気の治癒を行ったとしたら、神の如き者として奉られるだろう。
仮にそのように奉られるようになれば、必ずその力を欲するものが現れる筈だ。そうなっては、神奈様を捜す所ではない。最悪、神奈様も自分の掌中に抱え込もうとする不徳な輩が現れる可能性もある。
そんなことになるくらいならば、大して目立たない生き方をした方が良いという風になるのは、当然の帰結と言えるだろう。
『それ以後我はなるべく世俗から離れるようにと、子孫に言い聞かせた。それが功を奏してか、我が子孫でさえこの地を忘れるようになった。
我が子孫がこの地を訪れたのは何百年以来のものか』
世俗から離れ、全てが忘れ去られなければならない。そうやっていく内に、いつのまにか漠然とした伝承しか伝わらなくなっていったのだろう。
「だが、それも55年前に終わりを告げた……」
「!?」
|
突然聞えて来る声に驚き、私は後を振り返った。するとそこには高貴でおしとやかな雰囲気の女性に引きつられた車椅子に座った老人の姿があった。
「貴方は?」
「私は元内閣宮内庁特別捜索隊隊長草加拓海。柳也陛下の御子孫を探し出して欲しいとの昭和天皇陛下の御勅命により、創設させられた組織をまとめていたものだ……」
突然私の元へ現れた草加翁の話によれば、亡き昭和天皇は大東亜戦争終戦の折、荒廃した日本に住まう民に、復興する希望、その力を与える為に、自ら数千年来伝え継いで来た天皇力を人々に分け与えたという。
その分け与える方法として、昭和天皇は人間宣言の全国行幸を隠蓑にして人々に力を分け与えたという。その過程でこの地を訪れた昭和天皇は柳也殿と邂逅し、柳也殿や神奈にまつわる逸話を聞かされたという。
「『朕は日本国民の未来の為に天皇力を失った。今の朕はあらゆる力を求めぬ。故に、純粋に神奈殿をご救済するお手伝いをしたい』。昭和天皇陛下はそう仰られ、神奈備命様の魂を引き継いだ者の捜索を行う組織を編成を編成為さられたのだ」
『その昭和帝の言葉に賛同し、我は事を表沙汰にしないことを条件に、宮内庁の協力を仰いだ。
もっとも、我が子孫さえ今何処にいるのか分からぬ状態だった。故に、同時に我が子孫を捜し出すようにも言った』
「しかし陛下がご存命の内には神奈備命様の魂を引き継いだ者も、柳也陛下の御子孫も見つけ出す事は叶わず、私はその御勅命、そしてご遺言を預け賜った」
そう言い終えると草加翁は立ち上がり、私にある太刀を翳した。
「この太刀は……?」
「三種の神器、草薙太刀! 柳也陛下の御子孫とお会いになられた際には、壇ノ浦より発掘し、この太刀をお渡しに為さって下さいとの陛下のご遺言だ。故にこの太刀を往人様にお渡しするのが私の使命」
「しかし三種の神器と言えば天皇の継承の証、そのような者を私に渡しても良いものなのか?」
「貴方様は皇家の血を引きし方。その往人様がこの太刀をお持ちになる御資格はあります。何よりこれは亡き昭和天皇陛下のご意志です……」
「……」
暫く考えた後、私は無言で草薙太刀を受け取った。
「これで私の仕事は終わった。佐祐理さん、後は貴方達若い世代にすべてを任せる……」
「はい、分かっております。祐一さんとあゆさんの邂逅、そして往人さんとの邂逅。これらの出会いには運命的なものを感じます。きっと、わたくし達の世代で終着点に辿り着ける筈です」
草加翁に同行して来た佐祐理という名の女性は、そう感慨深く応えた。聞く所によれば彼女は新自由党倉田一郎のご子息で、かの奥州藤原氏の子孫に当たるという。
(そうだ、すべてに決着を着けてみせる。この千年の歴史に! 必ず、必ず歴史の終着点に辿り着いてみせる!!)
空は澄み渡る青天、梅雨は過ぎ去り、夏の影が見え隠れしている。その夏影の空に向かい、私は高らかに決意した。
この藍より青い蒼空の下、私の新しい本当の旅が始まる……。
|
…第一部完
……そして――
「『お父さんへ。ううん、昨日会ったって話した人は旅の人で、わたしの友達とか恋人とか、そういう関係の人じゃありません。
それよりもお父さん、もう少しでわたしの誕生日です。仕事が忙しいのは分かっているけど、私の誕生日の日ぐらいは帰って来て欲しいな……。
――観鈴』
これでよし! 送信と。
でも往人さんが恋人かぁ……。何だか悪くないかな……。ううん、何考えてるんだろ、わたし……。あの人にまた逢えるって保証はないのに……。
だけど……、もう一度逢ってみたいなぁ、往人さんに……。
……ねえ、お母さん。お母さんはどう思う? わたしと往人さん、友達になれるかな……?」
|
……旅の舞台は山から海へ――
※後書き
という訳でして、『みちのくたいき行』第一部の完結です。相変わらず終わり方が「Kanon傳」同様、「さあ、行くぞ!」みたいな打ち切り漫画的終わり方ですが…(苦笑)。まあ、構成がまだまとまっていませんので開始は大分後になるでしょうが、とりあえず第二部はきちんと書く予定です。ここで終わらせたなら、それこそ打ち切り漫画ですから(爆)。
さて、色々と張っていた伏線ですが、大まかなのは解明したかと思います。もし「ここんとこわかんねえぞ、ゴルァ!!」とか思いましたならば、メールや掲示板でお知らせ下さい。答えられる所はお答え致しますので。自分でも「何小難しい事書いてんだ」と毎回思いながら書いていますので(笑)、粗い部分は結構あると思いますので。
また、原作との大きな違いは「翼人」と「力」の設定ですね。原作の翼人が人を超越した生命体の様に描かれているのに対し、「たいき行」の翼人はあくまで人間だと描いていますから。
他には、原作の翼人が星の記憶を受け継ぐ者と描かれているのに対し、「たいき行」は人間が永遠を生き抜く為に記憶を受け継ぐ者と、存在意義が大分小さくなっています。「持てる知恵のすべてを人間の進歩に費やした嘗ての人類」などと、一見大風呂敷を広げている様に感じますが、実際の所は原作より遥かに矮小な物語になっているかと思います。
それと力の設定についてですが、実の所、「天照力」、「月讀力」、「須佐之男力」などという名前は、連載当初はまったく考えていませんでした(爆)。月讀力だけは「Kanon傳」の時から一応ありましたが、あとの二つは完全な後付けです(笑)。事の始まりが神代の「三貴士」から始まるのも面白いと思いましたので。
あと言わずもがなですが、作中に実在のアニメやら漫画、地名の名前が出て来ますが、世界自体はまったくの架空の世界ですのであしからず(笑)。早い話「イーハートーブ」ですね。宮澤賢治の作品にも実在の地名やらが出て来ますが、世界観はあくまで「架空世界の日本国岩手県」ですから。言うなればみちのくシリーズは、「私なりのイーハートーブ」を舞台にした小説という感じです。
最後に、これからの展開についてですが、平成十五年の一月から過去編の再構成物の連載を開始したいと思っています。翼人そのものの設定が原作と違いますから、自ずと過去編の展開も異なって来る訳でして。
これの連載が終わり、平成十五年の夏から第二部の連載を始められれば理想だなと思っております。
では、過去編、「たいき行」第二部でまたお会い致しましょう!
※平成17年3月5日、改訂 |
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